先週のメルマガでは、アドセンスの記事は上手に書く必要はなく、ただ「答え」が伝わりやすい記事を書けばいい!ということを解説しました。
※お読みでない方はバックナンバーをご覧ください
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しかし、いくら明瞭に答えが伝わりやすい記事でも受け手側の視点で読むと「何か物足りない」と感じるはずです。
そのことに気づいたのは、外注さんに頼んだ記事をチェックしているときでした。
それは「熱がこもっていない」から
いま現在、私はブログ記事のほとんどを外注さんに頼んで書いてもらっています。
日々、定期的に納品される記事をチェックするんですが、お仕事をスタートしたばかりの外注さんの記事には決まって物足りない部分を感じてしまいます。
その感覚をあえて言葉にすれば「熱がこもっていない」ということです。
なんだか抽象的だし、精神論みたいで分かりづらいかもしれません。
分かりやすいよう具体例を挙げてみましょう。
たとえば、同じ内容を伝える文章でもAとBでは受ける印象がまったく違うと思いませんか?
A.「今年の○○は何月何日でしょうか?
調べてみたところ、○月○日でした。
間違いやすいので気をつけましょう。」
B.「今年も今から待ち遠しい○○はいったい何月何日に来るのでしょうか?
子供たちにせがまれて調べてみたところ
○月○日だと分かりました!
今から間違えないように
カレンダーにチェックを入れておきたいですね。」
Aは事実をあくまで簡潔に、悪く言えば事務的に伝えたもの。
Bは事実を「どうして?なぜ知りたいか?」という、あえて蛇足になる要素も含めて伝えたもの。
シンプルに事実を夾雑物を消して伝えるならAのほうが優れていると言えますが、どちらの文章を読みたいか?といえばBと答える人のほうが多いと思います。
それに不思議と余計な要素が含まれているBの方が、内容が頭に残りやすい気もします。
温度が低い文章=客観的な文章
言ってみればAの文章は温度が低い文章ですよね?
とても客観的にクールに事実を述べているだけです。
そこに温かみはまったく感じられません。
それに対してBは書き手の背景が垣間見えることで温かみが感じられると思います。
ただ、疑問に対する「答え」だけを読んでさっとブログから離脱されてしまったら
滞在時間やPV数は悲しいほど低くなります。
そうならないためにじっくりと記事を読んでもらうためには、こうした「熱をこめる」ということが大切です。
このとき大事なのが
⇒あなた(訪問者)が知りたいだろうから調べた
ではなく
⇒私自身が知りたいから調べた
という当事者意識をもって記事を書くことですね。
どうしても自分自身にとってまったく興味のないテーマの場合、事実を淡々と羅列するだけになってしまいがちですから。